2015年9月25日(金)17:38

雲ノ平は天国だった!北アルプスを扇沢から笠ヶ岳までテント泊縦走 HOT

縦走1日目:扇沢~針ノ木小屋

今年もまた、天候不順の8月後半だった。どこかで晴れマークが5日間くらい続いたら思い立って山に行こうとずっと考えていたのだが、行くことができたのは9月も中旬になってからだった。ダブル台風が去り、今週末から来週にかけてそこそこ晴れが続く予報だった。本当はもう少し晴天が続く予報が期待できるまで待ちたかったが、今年は長期連休になるシルバーウィークに日程が重なることだけは混雑を考えると避けたかった。

八王子を始発の特急に乗って松本まで、そこからローカル線で信濃大町、さらにバスに乗って縦走のスタート地点である扇沢に行く。見上げる山々の頂は雲に覆われている。

12時過ぎ、6日間予定の長い北アルプス縦走をスタートする。歩き始めるとすぐに霧雨が降ってくる。さすがに9月の平日だけあって登山道には人の気配を感じない。何だが熊が出てきそうな雰囲気だったので大きく咳混んでみたり、ストックを叩き合わせたりしながら歩く。1時間ほどで大沢小屋に到着。初日はここに泊まることも考えていたのだが、大沢小屋はすでに営業期間を終了していた。

大沢小屋を過ぎ、しばらく歩くと針ノ木の雪渓が見えてきた。残雪期には、この雪渓の上をずっと歩いて登って行くようなのだが、この時期は雪渓も大分小さくなっており、何度か雪渓を横切りながら両端の登山道を登るようになっている。雪渓の中程を過ぎると少しずつ風雨が激しくなってきたのでレインウェアを着る。雲に覆われて見えない目的に向かって歩くのはやはり気分が乗らない。雪渓を登り詰めると砂礫の斜面についたつづら折りの道になり、さらに登っていくと次第に稜線が見えてきて、その鞍部に針ノ木小屋があった。小屋に入りテント泊の受付をする。小屋の宿泊客はいないようでスタッフ数人が休憩室で静かに本を読んでいた。

針ノ木小屋のテント場は、ウェブサイトには『大小合わせて30張り』と書かれていたが、ちゃんと張れるのは、その半分もない感じだった。段々状に設けられたテントサイトは1人用テントでも窮屈そうな場所が多く、傾斜があり石も多い。混雑する時期などは早めにいい場所をキープしないとかなり厳しそうだ。さらに数人用のテントなら2~3張りしか張れるスペースがない。それとも僕が確認した場所以外にあったのだろうか。

17時頃を過ぎると、ときどき雲が切れ蓮華岳の頂が見える。また遠くに槍ヶ岳が見える。晴れていれば素晴らしい眺めの中を登ることができていたんだろう。ちょっと残念だったが、少しだけ明日に期待ができる景色を見ることができた。

 

縦走2日目:針ノ木小屋~不動岳山頂(ビバーク地点)

4時半起床。今日の行程は2通り。まずは船窪小屋まで。ただ船窪小屋まではゆっくり歩いても6時間弱で、午前中には到着してしまうことになる。その時間にテントを張るにはあまりにも早すぎるように思う。次は烏帽子小屋までだが、そこまで行くにはコースタイムで13時間半もかかる。正直、一番疲れの出る2日目に、今の自分の体力でテント装備を背負ってそれだけ歩くのはかなり厳しいだろう。まあいずれにせよ行く方向は同じなので、まずは歩いてみて船窪小屋の分岐に10時まで着いたら、次の烏帽子小屋を目指すかどうか決めることにする。

午前5時半に小屋で水を貰おうと入る。宿泊客がいないのだろう、静かで誰も起きてもいないようだった。ちょっとためらったが、張り紙には夜は20時まで、朝は5時から受付していると書いてあるので呼んでみた。何の反応もないので、もう一度、少し大きな声で「すいません。水をいただきたいんですがー」と呼ぶと、昨日、受付をしたスタッフが明らかに寝起きの顔で、小さく舌打ちをして2階の梯子から降りてきた。「すいません。張り紙に受付は朝5時からって書いていたんで…」と言うと「今日は宿泊客がいないんで。水は何リットルですか?」と言う。もはやテント泊は客じゃないとばかりの言い草にムカッとしたが「ごめんなさいね」と言って水を貰った。

針ノ木小屋はネットの情報を見ても別に評判が悪いようなことを書かれているのを見たことはないので、たまたまそのスタッフの人間性か、たまたまタイミングが悪かったのか分からないが、ちょっと気分の悪い2日目のスタートとなった。日の出時間もとっくに過ぎているのに山小屋のスタッフが誰も起きてないというのもどうかと思う。山じゃなくても普通に5時には起きている僕としては。

今日は天気がいいようだ。森林限界を超えた朝の稜線歩きは気持ちがいい。針ノ木小屋から標高差300メートルを50分ほど登ると蓮華岳のピークにつく。これから向かう稜線の峰々が槍ヶ岳の向こう笠ヶ岳までずっと見渡せる。蓮華岳からは「蓮華の大下り」と言われ今度は500mを一気に下る。初めはなだらかなザレ場を下っていくのだが、その先に現れた急峻な岩場が、これから歩くルートの過酷さを物語っていた。

小さなアップダウンを何度か繰り返し船窪小屋分岐に着く。9時50分。予定では先に進む時間。多少疲労感もあり先に進むか迷ったが、船窪小屋のテント場で作業をしていた小屋番さんと話すと、水さえ持っていれば不動岳の手前からビバークするところはあるという情報を得たので先に進むことにした。経験として一度ビバークを体験しておきたいと思っていたのもあった。

そこから先の登山道は厳しかった。岩、クサリ、ロープが付いた大小のアップダウンが続き、さらには、ほとんどが森林限界以下で見通しも悪くモティベーションが上がらない。さらに七倉岳より先は片側が崩落で切れ落ち緊張を強いられる状態が続き、15時に不動岳に到着した時点で足の疲労は限界に達していた。

「もう無理だな…」不動岳山頂から次のポイントである南沢岳への登り返しを目の当たりした時、そう思った。南沢岳までコースタイムで1時間30分。行こうと思えば行けなくもないかも知れないが、歩くペースが落ちた今、暗くなる前に到達できるのか、また着くことができたとして、そこにビバークできる適地はあるのか。いろいろ思い巡らせた結論として、ここ不動岳山頂にはテントを張れるスペースを確認できているし、また疲労的な事からも、もうここでビバークしようと決めた。ただ稜線上のビバーク、天候次第では夜中に暴風雨に煽られはしないかいくらか不安には感じた。

心配通り穏やかだった天候も、夜半過ぎからかなり強風が吹いてきてテントのポールが時々ギュッ、ギュッと風に煽られ、ずれては戻る音がした。突風が吹いてもテントが飛ばされないようにテント内の風上側に自分が重しになるように寝た。30分に一度は目が覚め、進んでない時間を時計で確認して「このまま雨だけは降らないで早く朝になってくれればいいが…」と思った。

緊張感を強いられている状態で不思議な夢を見た。バタバタと煽られているテントを抑えようと、頭の上のテントの内壁に手を伸ばすと、何かに掴まれたように腰の方に手を持って行かれる。「えっ?夢だろ」ともう一度、同じことをやろうとするとやはり腰の方に強く手を掴まれて持っていかれる。ちょっと不気味な気持ちになったが、もう一度やってみたら今度は何事もなくテントの内壁を触ることができ安堵した。疲労と緊張感、浅い睡眠のせいで、体は起きていてそういう夢を見たのだと思うが、こういう出来事が人によっては霊的な体験をしたということになるのだろう。ただ、その時全く怖いとは感じなかった。

下山後に知ったことだが、ここ不動岳では1991年に関西学院大学の学生が遭難して亡くなっているらしく、家族が建てた碑が山頂にあるようだった。生きていればほぼ僕と同じ年齢くらい。ここで見た不思議な夢と、その悲しい出来事が関係しているとは思わないが、何か少しやるせない気持ちになった。

 

3日目:不動岳山頂(ビバーク地点)~雲ノ平キャンプ場

4時起床。相変わらず強風が吹いているが、雨にならず朝を迎えることができ、無事、今日の行程をスタートできることができてよかった。多少、眠くはあるが昨日の疲労はかなり回復した。

雲が少し高い位置を忙しく流れ、その合間から時々空が見えている。登山前日にチェックした天気予報通り、今日はあまり天気の良くない一日になりそうだ。

5時15分スタート。ビバークした不動岳からハイマツ帯、ガレた樹林帯を鞍部まで下り切ったら、片側が切れ落ちた南沢岳に登り返す。昨日歩いたルートと比べると、それほど険しい道ではなかったが、ここを歩くには昨日の疲れた足ではやはり相当堪えただろう。南沢岳の山頂近く、なだらかなハイマツ帯になり、そこを抜けるとちょっと開けた場所に出た。その一部には草が剥げ砂礫がむき出しの平らなスペースがあり、明らかに過去に何度もビバークされた跡だった。昨夜、激しく吹いた西風の風裏になる稜線の東側で、さらにハイマツに囲まれビバークには最適の場所だった。昨日、あともう少し頑張っていたら、あんなに心配することなく昨夜はゆっくり睡眠することができたのに…と思った。ただ、こうして今、無事に歩いているのを思えば、昨日は昨日で適切な判断だったのかも知れないとも思った。

南沢岳の山頂は、鳳凰三山や燕岳の縦走路を思わせるような花崗岩と白い砂地がたおやかに広がり、その中に一筋の登山道が向かいにあるもうひとつのピークまで続いている。そして、そのピーク脇を通り過ぎ、南に見通しの利く場所に出ると真正面に鋭い頂が天を突く烏帽子岳が見えた。足下には、今まで歩いてきた厳しい道とは打って変わり、低木の草原に池塘が点在するやさしい風景が広がり、それを見た時やっとほっとした気持ちになった。南沢岳の麓から烏帽子小屋の間は歩いてとても気持ちのいい場所で、いつかまた訪れてみたい。

7時45分、烏帽子小屋に着く。水が確保できたので朝食にラーメンを食べる。山に入ると時間が気になり、どんどん先に進みたい気持ちのせいか、食欲があまりわかず、夕食以外はほとんど何も食べずに歩き続けることがよくあるのだが、この朝食は、今摂ったエネルギーがみるみる身体に吸収され体力が回復してくるのが意識できるようだった。食べなくてもそれなりには動けると思っていたのだが、適切に休憩を取りエネルギーを補給することはやはり結果的に、より長く、早く歩く源になるんだろう。

山の天気はどんどん悪くなっているようで、時折、風速30m/sを超すような突風が吹きつけ先に進むのをためらう。烏帽子小屋の主人に状況を相談すると、突風が吹く稜線は危険だが、まだ時間も早いし野口五郎小屋も水晶小屋も営業しているので状況を見ながら進んでみることはできるのではとアドバイスをされた。

烏帽子小屋を経ち樹林帯を抜けると、時々突風に煽られ、真っ直ぐ歩いていられないことはあったが、それでも命に危険を感じる程ではなかった。また反対方向から縦走してきた数人の登山がいたことも勇気になった。三ッ岳を過ぎたあたりで高い位置にあった雲が低く垂れ込んできて強風に雨粒が混じるようになってきた。そして、その風粒がさらに激しく吹き付けるようになってきたので、仕方なく登山道沿いにあった大岩の裏に回り込み風雨を忍び、そこでレインパンツを履きザックカバーを付けた。

三ッ岳手前で会った縦走者を最後に、誰も向かいから歩いてこない状況に少し不安を感じながらも先に進んでいくと、広く広がった稜線の窪地に青い屋根の野口五郎小屋が見えた。小屋に入り休憩する。普段なら登山中でもビールを飲むのだが、この日ばかりはホットミルクを注文した。休憩中、小屋から見る天候はさらに悪くなり周囲はほぼ霧(雲)に覆われる状況となった。ただ風だけは幾分弱くなってきたように感じた。

12時前に野口五郎小屋を出る。そこから先は何も見えない白いだけの世界だった。本来ならその景観良さから裏銀座と称される人気の縦走路のはずなのだが、この日はただ黙々と歩いて行くしかなかった。13時45分、東沢乗越、相変わらず何も見えない。コースタイムでは40分ほどで水晶小屋に着くはずだったのだが、予想以上のアップダウンと岩場の連続で1時間近く要した。そんな中、ライチョウが現れ道案内をしてくれるように登山道を先へ先へと駆けて行き、心を和ませてくれた。

14時35分、水晶小屋。ホットカルピスを飲んで休憩する。この天候のため、今日の縦走をここで中断している人が多いのか宿泊客が多く思われた。そういえば、野口五郎小屋で、この悪天で歩く、この先の登山道の状況を主人に伺ったとき、今日、ここに泊まる予定の登山者が20人位、今、三俣山荘からこちらに向かって歩いているから大丈夫だと言っていたのを思い出したが、結局、出会ったのはたったの1人だけだった。すでにアルコールで出来上がったお兄さんが赤ら顔して小屋内をウロウロしているのがうらやましい。

15時前に小屋を出る。祖父岳の登り返しはあるものの、ここからは基本下りなので気分は楽だ。それに今日の目的地はずっと行きたかった憧れの雲ノ平、そこにもう2時間もあればつくと思えば疲れも少しは癒される。緩やかに下る縦走路を走るように進み、岩苔乗越から祖父岳を登り返し、山頂のケルン群を抜け雲ノ平に向けて再び下る。祖父岳の登りで3匹のライチョウに出会う。一日にニ度もライチョウに出会うとは初めてだ。

本来ならこの祖父岳からの下りで雲ノ平の美しい平原が一望できているのだろうが、辺り一面は相変わらず霧に包まれている。ただ天候は全体的に回復傾向なのか、再び雨が降る気配はほとんどなく流れる雲の合間から時折青空が見えたりもする。一瞬、雲が抜け雲ノ平の平地とそこに付けられた木道が見え気持ちが高まる。祖父岳分岐から雲ノ平山荘やテント場がある中心部までは案外長かった。地図を見るともともとは祖父岳分岐からまっすぐテント場に降ることができたようなのだが、植生保護のため岩苔小谷に一度迂回するように道が付けられているようだ。雲ノ平の中心部に近づくにつれ数百メートル先くらいまで見渡せるようになってきた。そうすると本当にこんな山の中にと思うくらいの平原がそこに広がっていた。

17時に迫っていたので、まずはテント場に行って先にテントを張ることにした。テント場から小屋までは地図によると片道で25分ほど掛かるらしい。往復で1時間近く、万が一雨でも降りだしたら荷物も濡れるしテント設営が面倒だ。テント場には既に20張りほどテントが張られていたが、広々としたここのキャンプ場は、テントを張るのに適した平らなサイトはたくさんあった。テントの設営し終わると辺りがちょっと薄暗くなってきた。さらに疲れてもいたので、申し訳ないが、翌日、テントの受付に小屋に行くことにして夕食にする。

時折、青空に下に映える祖父岳を見ていると明日はもう雨の心配はないように思えた。小屋に行ってないのでビールも買えずに2日続けて酒なしで過ごす。昨日今日と二日続けて健康的に一日が終わっていった。

 

4日目:雲ノ平~双六小屋

夜半過ぎから相当に気温が下がったようだった。快適睡眠温度が摂氏2度まで対応のシュラフなのだが、夜中、背中がゾクゾクして起き上がってレインウェアを着込んだ。さらにザックから1個だけ持ってきていたホッカイロを取り出し腰とパンツの間に挟み込み、何とかまた眠ることができた。

すっかり明るくなった5時半に起き上がりインナーテントのジッパーを開ける。フライシートの内側に付いていた水滴が氷っている。やはり氷点下まで気温が下がっていたようだ。寒かったはずだ。テントのフロントジッパーを開けて外を眺めると、正面には雲ひとつない空に浮かぶように大きな山があり朝日に照らされていた。方角をあまり意識していなかったので、あれは祖母岳かなと漠然と考えていたのだが、それは黒部五郎岳だった。

ゆっくり朝食を取り、テント場に差し込んできた陽射しで昨日の雨で湿ってしまった衣類などを乾かしてから、8時前に雲ノ平山荘に向かう。木道を5分ほど緩やかに登ると、その先でテント場への分岐がある小高い丘の上に出る。昨日、何も見えなかった景色が嘘のように雲ノ平が一面に見渡せ、そこから続く木道の先にメルヘンチックな赤い屋根の雲ノ平山荘が見えた。素晴らしいとか美しいという言葉以外にどういう言葉で表現できるのだろう。ただただ、今、見ているこの景色が今まで見てきた中で一番の景色だと思った。

気持ちのいい木道を20分程歩くと雲ノ平山荘につく。理由を話し昨日支払うはずだったテント場の料金を払う。雲ノ平山荘は外も内もホテル並みにきれいだ。ついでにビールを買って小屋前のベンチで飲む。朝8時過ぎの最高の一杯。

あちらこちらで寄り道をして写真を撮り、素晴らしい景色に後ろ髪を引かれながら、ゆっくり祖父岳分岐まで戻る。縦走中に同じ道を折り返して歩くのは避けたいのだが、昨日、何も見えなかった景色がどんなものだったのか見たいと思い祖父岳を経由して鷲羽岳に向かうことにする。昨日、ケルンしか見えなかった祖父岳山頂は絶景の山頂だった。水晶岳、鷲羽岳、槍ヶ岳・穂高岳、笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳と北アルプスの雄たちを一望に見渡すことができる。

祖父岳山頂である女性とたまたま一緒になり話をする。こんないい景色を見ると単独好きと言えども、やはり誰かと共有したくなるものだ。今日、三俣山荘に泊まる予定という彼女は、まず水晶岳に行くということでコースが重なるワリモ北分岐まで一緒に歩く。

11時10分ワリモ北分岐。登山経験はあまり多くないという彼女に、今から水晶岳に行くなら、ここにザックをデポして歩けばコースタイムを短縮できるだろうから、そうした方がいいとアドバイスしてその場で別れたのだが、ワリモ岳の山頂でちょっとコースが分かりにくい急峻な岩場を通った時、自分のしたアドバイスについてちょっと不安な気持ちになった。分岐から水晶岳への往復はコースタイムで2時間40分。山頂で休憩したとして3時間。ザックのデポ地点まで遅くとも15時に戻ったとして三俣山荘に着くのは17時過ぎ。鷲羽岳にも登ると言っていたが、遅くなって暗くなった時間に、この急峻な岩場を通らなければいいのだが…そう言えば、彼女は自分は方向音痴とも言っていた。地図は持っているのだろうか。暗くなったら鷲羽岳を経由するルートではなく、黒部源流に降りて三俣山荘に行くコースを行けばいいのだが、知っているのだろうか…

12時ちょうどに鷲羽岳山頂につく。東側を眺めると眼下にきれいな池が見えた。いつかネットで鷲羽池の写真を見た時、鷲羽岳に登る時は行ってみようと思っていたことを思い出す。すぐに山頂を後にする。10分ほど進むと池へと下る分岐があった。目測120~130メートルは降りるだろうか。ザックを分岐にデポして水とカメラをサブザックに詰めて下る。ちょっと荒れた急な道を一気に下ると10分ほどで池の畔に着いた。静かな池の畔には大岩が点在し、そのひとつの平らな石の上に寝そべって青い空を眺めた。ここにいるのは僕だけ。何とも贅沢な気分である。できるならここにテントを張って一日過ごしてみたい場所だ。行きはよいよいだったが、ほぼ空身とは言え登り返しはきつかった。下りの倍ほどの時間が掛かって分岐点まで登り返す。すでに13時過ぎ、双六小屋までの残りの行程を考えるとちょっとだけ急いだ方がいいかも知れない。

14時、三俣山荘。残り2時間半程度だがエネルギー切れしないように山荘前のベンチで昼食を食べる。小屋ではラジオが流れていた。久しぶりに聴く音楽がとても心地よく感じる。いつものことだが縦走の3日目、4日目あたりはどことなく街の生活が恋しくなる。まさに「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」(桃瀬慎太郎)だ。

三俣山荘からは巻き道ルートを通って双六山荘へ向かう。双六小屋までの近道になる上、以前、稜線ルートを歩いた時、眼下に見えたカール地形が気持ちよさそうだったので一度は歩いてみたいと何となく思っていた。それでも正直、時間を短縮することが主な目的で、このコースの景観をそれほど期待してなかったのだが、広々とした草原に白い岩が点在し、その中を小川が流れる雰囲気は、黒部五郎岳のカールに匹敵するくらいここのカールも居心地がいいところだった。

16時半、双六小屋に到着。テントの受付をして小屋の裏、双六池の畔にあるテント場に向かう。ここはかなり広いテント場だ。どこにテントを張るか探すのだが、広い敷地は池に向かって全体的にゆっくり傾斜していて、フラットにテントを張れるところは案外なく、小屋から一番離れた双六池に面した三段くらいだけだった。さらに、双六池側は遮るものがなく開けていて風の通り道になっているようで、池側からは冷たい強風が吹きつけていてテントを張るのに苦労した。

夕食後、寒いので日本酒を買ってきて、地図を眺め最終日である明日の行程を考えながら飲む。僕の意志の弱いところで、最終日はいつも予め立てた予定を端折って、早く下山口に到着するルートでもう降りてしまおうかなと考えてしまう。ゴールが近づいて温泉やら美味しい食事やら暖かい布団やらが一気に恋しくなってしまうのだろう。天候が悪ければ、より一層そんな気持ちが強くなるし、また、テント場で仲良くなった相手が、翌日はただ下山するだけの行程だったりすると、僕も一緒に降りてしまおうかなという気持ちに引きずられてしまう。そう2年前の北アルプス縦走の時も、槍ヶ岳でテント泊の翌日、大喰岳、中岳から氷河公園を経由して降りるつもりだったのだが、結局、槍ヶ岳山荘で出会った人たちと飲んだ翌日、行動を共にしてしまい快晴の天候の中、そのまま槍ヶ岳から上高地に降りてしまった。

「今回は他人に左右されないって決めてきたよな」、「最後まで自分の決めたことを貫き通すって決めてきたよな」、自問自答しながら地図を眺めていたらいつの間にか眠っていた。

 

5日目:双六山荘~新穂高温泉

4時半過ぎに目が覚めるがバタバタとテントに吹き付ける風の音で起き上がる気にならない。日が昇ると突如として風が治まることもあるのでシュラフに入ったまま時間を過ごすが一向に治まる気配がない。仕方なくテント内の荷物から先にパッキングし始める。厄介なことにテントのフライシートの内側はびっしり結露していた。濡れたテントは、いくら叩いて水滴を振り落としたとしても30%くらいは重くなってしまう。

あとはテントだけをザックに詰めればいい状態にして外に出る。風は強いが天気はそんなに悪くはなさそうだった。これから向かう笠ヶ岳が双六池越しによく見えている。既に6時過ぎで山の朝としては遅い方なのだが、強風で皆スタートが遅いのかまだかなりのテントが残っている。それにしても強風の中でのテントの設営と撤収は本当に面倒だ。これも経験値なのだろうが、何かもっとうまく雨や風の中で設営や撤収をする方法はないものなのだろうか。

昨日ほどではないが、今日も気温が低いのでダウンとアウターを着込み6時半前に出発する。2日目、3日目の2日間で、3日間分の行程を歩いたので今日はこの縦走の最終日だ。双六小屋からしばらくは緩やかな道を進むが、その先から次第に高度を上げていく。弓折乗越で新穂高までの下山ルートの小池新道を左に分け、笠ヶ岳方面へ進むと縦走路はぐんと静かになる。それなりにアップダウンを繰り返すのだが、縦走5日目にもなると身体が山にフィットしてきて無意識にペースがあがる。さらに槍穂を見渡せる、これぞアルプスという景色がメンタルのストレスを忘れさせてもくれる。

秩父平で稜線の鞍部に向かって一気に登り上がる。ここ秩父平も広々としたカール地形が美しく魅力的な場所だ。稜線を鞍部まで登り、そこから稜線沿いにもう15分ほど登り切ったところに立つと、その先に青空に頂部だけぐんと突き出た笠ヶ岳に向かって緩やかな稜線が伸びているのが見えた。真正面に笠ヶ岳を見ながらの気持ちのいい稜線を30分ほど歩くと笠新道との分岐に着く。急いだ訳でもないのに双六小屋からのコースタイムより1時間も早く到着する。

ここから笠ヶ岳を往復してきて、この笠新道から下山口に降りるので、重いザックはここにデポして最後のピーク笠ヶ岳に向かう。20キロのザックがないと何と足取りが軽いものだろうか。それでも、ぐんと突き上がった笠ヶ岳の肩からの最後の登りは、空身でも結構きついものだった。小屋がすぐ上に見えているように見えるのだが、なかなか近づいて来ない。何となくゴールデンウィークに行った燕岳の合戦小屋裏を登ったところで、目の前に燕山荘が見えているのになかなか近づかないのを思い出した。

笠ヶ岳山荘のテント場を通り過ぎる。なるほど「小屋まで遠く、トイレに行くにも20分はかかる」とよくネットで見かけるだけはある。確かにこの上にはゴツゴツした岩場があり標高差でいってざっと40~50メートルは登って行かなければならない感じだ。ちゃんと計測してみると10分で小屋についたので20分は言い過ぎだが、夜更けにこの岩場を通ってトイレに行くとなるとちょっと面倒そうだ。

小屋へは寄らず山頂へ向かう。あと一息、これがこの縦走で最後の登りだ。頂が細くせり上がっているせいか、山頂はまだずっと上にあるように見えるのだが10分ほどで笠ヶ岳 2898mに着く。辺りは雲に覆われ何も見えない。この山行最後の記念のピークだから少し粘ってみるが残念ながら雲が切れることはなかった。本来なら正面に槍穂の雄姿が広がっているはずなのに…それでも妥協することなく計画通り最後の頂まで登り切ったことにとても満足した。ビバークもした、激しい風雨の中を歩きもしたが、よく頑張った。山頂の祠に感謝の御礼をして下山するまでの無事をお祈りをした。

少し時間に余裕があったので笠ヶ岳山荘でチューハイを買って一人で乾杯する。風もなく小屋前の暖かいベンチで飲む酒は満足感もあり格別に美味かった。しかし、まだ旅は終わってはいない。下山口までコースタイムでまだ4時間半は掛かる。これから下る笠新道は長い長い坂道が延々に続くということで有名な道だ。

緩やかな下りでは時折トレランのように小走りしながら笠新道分岐まで戻る。ここで、このままザックを背負って一気に下ってしまおうと思ったが、長い下りでエネルギーが切れると集中力が無くなり転んだりするかもしれない。ザックからガスクッカーを取り出してラーメンを食べる。それにしても本当に食べずに歩き続けているんだなと思った。予備を含めて1週間分は用意してきた食料の半分どころから3分の1ほどしか減っていない。行動食などはほぼ何も手を付けてない状態で残っている。どうしてあまり動かない街の生活ではあんなに腹が減るのに、こんなに激しく動いている山ではここまで平気でいられるのだろうか。

12時50分、抜戸岳横の笠新道の最高地点から今から下る登山道を見下ろす。最初は気持ちの良さそうなカールを降り、その先で樹林帯に入りさらに下っていくようだ。気合をいれて一気に下っていく。もう降りるだけと気持ちを決めるとあまりゆっくりしていると途中で気持ちが切れてかえって疲れてしまう。40分で杓子平。コースタイムの半分ほどでここまで着く。振り返るとここ杓子平も美しいカールが広がっている。アルプスらしい景色を見ることができるのも名残惜しいがここでお別れ。ここからは樹林帯に入りひたすらガレた岩場を下っていく。

ガレた岩場の下りは、個人的には好きな下りだ。雨でもない限り靴のグリップがよく利き、次の岩、次の岩…とリズムよく足を運んでいくことができる。こういうところではストックは使わない方が個人的にはいいと思う。ストックがあるとまずストックを突く安定した箇所をいちいち探しながら進まなくてはならない。ストックをしまって両手をフリーにすることで、急峻なところでは岩に手をついたり、樹林帯では木や枝を掴んだりしてバランスを取りながら歩くことができる。下りは時間が掛かれば掛かるほど、膝などへの負担が増していくし、メンタルの疲労も蓄積してくるので、ある程度スピード感を持って下ることが大切だと思う。

結局、笠新道の分岐から2時間10分、15時前に笠新道の登山口(下山口)に降りて来た。そこにあった水場で頭から水を被る。ほぼ全ての行程がここで終わり。あとはここからちょっと歩いたところにあるわさび平小屋で最後のテント泊をして明日、ゆっくり温泉に入って戻ればいいだけだ。

満足感ひたり小屋に着いたらビールでも飲むかなど考えながら小屋に向かって歩いていると、前から歩いてくる女性と目があった。何と彼女は、昨日、祖父岳の山頂で知り合った彼女だった。笠新道の登山口(下山口)からわさび平小屋までは、双六岳方面から降りてくる小池新道を10分戻ったところにあり、双六小屋方面から降りてくる登山者とすれ違うのだが、まさかたったこの10分の区間でまた彼女に会うなんて本当にびっくりした。同時に自分がしたアドバイスの事でちょっと心配に思っていたので、彼女が無事にここに降りてきていたのを確認できて安心した。

別れたあとの山行を互いに少し話す。今日はどこかに泊まって帰るのか聞くと、このまま温泉に入って平湯から高速バスに乗って東京に戻るという。その話を聞いて、まだ今日中に家に帰ることができるのかと、帰りたい願望が心の中で一気に膨らんだ。彼女に高速バス会社の電話番号を聞き、バスの予約ができるかどうか電話を掛けるが圏外でつながらない。彼女もバスまでそんなに時間に余裕がある訳ではないので、そこで別れ、僕は固定電話があるだろうと今日、泊まる予定だったわさび平小屋に向かった。

小屋にあった高速バスの時刻表と、そのバス停まで向かう路線バスの時刻を調べると、確かにまだ帰れることが分かった。すぐにバス会社に電話すると平日ということもあり簡単に予約ができた。これで帰る準備は整ったのだが、温泉に入る時間はどう急いでも30分間くらいしかない。5日間も着替えもせず風呂にも入ってないのだから、このまま公共交通機関に乗る訳にはいかない。何としても風呂だけには入らなければ。

わさび平小屋から路線バスのバス停まで1時間ちょっとの道のりを小走りに走った。走りながら「なんでこんなに急いで帰る必要があるんだ?」、「途中で行程を1日短縮しているし本当は明後日帰る予定だったんだから、今日はゆっくりして明日、満足感に浸りながら帰れば良かったじゃないか」、「今回は他人の意見に惑わされないって決めて来たはずなのに、最後の最後に惑わされてしまったじゃないか」、「まだまだお前は意志が弱いと神様から戒められたんだろうな」など、ちょっと後味が悪くなった山行の終わり方に少し後悔した。

50分ほどでバス停に着く。ありがたいことに停留所のすぐ裏手に中崎山荘という温泉があり、急いだ分だけ40分ほど温泉に入る時間が取れた。ゆっくり湯舟に浸かって疲れを取るという訳には行かなかったが5日分の汚れを洗い落とし、さっぱりした気分で路線バスの発車時刻の5分前にバス停に立った。程なくさっきばったり会った彼女も温泉から出てきて再び合流する。互いの山の話や自分がしたアドバイスで心配したことなどを話しながらバスは高速バスのターミナルの平湯についた。

平日の5時半過ぎということもあってすでにターミナルの店は全て閉まっていて「下山後の温泉後」というのに乾杯のビールさえ買うことができない。高速バスの時刻まで、まだ30分ほどあるのでビールを探して平湯の温泉街の方に歩いて行ってみると、ちょっと行ったところにつる屋という商店があり、ビールとつまみを買った。

バス停に戻って、無事に下山できたことに乾杯!と飲んでいると、元気のいい一人の女性がザックを背負ってやってきた。彼女もまた新宿行きの高速バスに乗るようだった。彼女は僕が持っているビールを見るや否やどこで買ったのかを聞いてきたので教えると身軽そうに小走りで走っていった。ビールを買ってすぐに戻ってきた彼女と、どこに登ってきたのかなど話す。ザックにヘルメットを装着した彼女は単独で奥穂高岳から北穂高岳、大キレットをテント泊で歩いて来たという。そのコースをテント泊装備を持って1人で縦走するとは本当に凄い女性だ。

フレンドリーな彼女の話を感心しながら聞いていると新宿行きの高速バスが到着して乗車客の点呼が始まった。点呼と言っても僕ら3人しかいない。ここでびっくりすることが起きた。

車掌が「O様」と呼ぶと、このキレットを縦走してきた彼女が返事をした。

「O様!?」僕の故郷の町の名称でもある、多くはないこの苗字を聞いてはっとした。

思わず彼女に向かって「Oさん?!」と呼んだ。

一瞬戸惑ったようだが、ちょっと時間をおいて彼女もびっくりした顔をしてこちらを見返した。

彼女は4年前に南アルプスを縦走中に知り合って今でもFACEBOOKフレンドでもある知り合いだった。彼女の苗字である「O」は僕の故郷が起源で、東京に住んでいる彼女は、その苗字のルーツを訪ねて観光地でもない九州の片田舎にある僕の故郷に訪れたことがあるらしく、そんな彼女と南アルプスの山の奥で知り合ったことが不思議で、何かの縁を感じて知り合いになっていたのだ。それから何度かその時、出会った他の仲間と共に一緒に山に登ろうという話はあったのだが、なかなか都合がつかずに4年が過ぎ去っていた。バイクに乗ったり、マラソンをしたりと活動的な彼女はFACEBOOKでは、それなりにコミュニケーションを取っている相手だったが、ずっと会ってなかったのでお互いにどんな顔だったのかは完全に忘れ去っていた。

人生には一体どんな人の縁というものがあるのか分からないが、彼女との再会は本当に偶然の不思議さを感じる縁だった。元を辿れば、昨日、祖父岳で知り合った彼女と下山後に偶然再会したこと、そして、その彼女にまだ新宿行きの高速バスがあることを聞いて急に帰りたくなったこと、もっとゆっくりして翌日に帰ればよかったのに急いでバスのチケットを取ってしまったこと…全てがOさんと再会する要因だったとしか思えなかった。

こういう人との縁は一生涯大切にするべきものなんだろうなと思った。遠ざかればまたどこかで再び出会うかもしれないとも思ってしまう。今度は、ちゃんとOさんに声を掛けて丹沢の山小屋あたりで酒を飲みながら、お互いの山の話をゆっくり語り合ってみたいと思う。彼女も相当に酒に強いようで楽しみだ。他人に惑わされる弱い意志もただ悪いことばかりではないようだった。

ルートマップ

データ

  • 入山日: 2015年9月11日(金)
  • 下山日: 2015年9月15日(火)
  • 登山エリア: 北アルプス
  • 登山ジャンル: 縦走登山
  • 登山スタイル: テント泊
  • メンバー: ソロ
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